代表プロフィール
2歳の時に、両耳の聴力を失う。
18歳の時、ボディボードに出会い、プロになり日本中の海や世界の試合を転戦。
引退後、講師として講演を行う傍ら、海の持つ無限な可能性を伝えています。
東北大震災復興支援活動として「陽けたら海へ」の主催を務め、東北の子供たちへサーフィンスクールを実施。
デフキッズスクールでは耳の聴こえない子供たちへ女性だけの耳の聴こえないグループ
「Kahului」でもボディーボード/YOGA/SUPイベント開催中。
現役時代にトレーニングの一環として始めたヨガ。東京で6年間、本格的にヨガ教室に通い 2018 年にヨガインストラクター養成講座を卒業。さらに学びを深めるべく RYT500 取得。
聴こえる人たちが話す言葉が音声言語だとすると、手話は視覚言語であり、言語として認められています。
手や指、顔の表情を読み取り、アイコンタクトで会話をするので相手の顔をしっかり見ます。
だからこそ色々なことに気づきます。
「目の色が綺麗」「優しい口の動きをするんだな」「この人の話し方が好き」など
きっと聴こえる人が新しい発見をするかもしれません。
相手をよく見る。その人の心と会話するように。手話はそんな素敵なコミュニケーションツールでもあるので多くの人達に知ってもらえたらと思います。
リオネット補聴器アンバサダーとしての私
2歳の時に後ろから呼んでも振り向かない、テレビにピッタリくっついてる姿を祖父が見て
「聴力に異常があるのではないか?」と
言われ病院へ連れていくと進行性の先天性感音難聴だとわかりました。
そこから両耳に補聴器をつけ始めました。
18歳で「海は誰にでも平等な世界」と気づきボディーボードの世界に魅了されていきます。
20歳の時に「あと5年で聴こえなくなる」と言われ、人工内耳の手術を勧められましたが
「手術をしたら激しいスポーツは出来なくなる」と言われました。
手術をして聴こえるようになる人生を選ぶか、そのまま手術はしないけど
やっと見つけた平等な世界=プロのボディーボーダーになる人生を歩むか2択の選択に迫られました。
結果はご覧の通り、手術はしませんでした。
その時に言われた医師の先生の言葉は
「今の補聴器の技術はどんどん進化しているからね。きっと君が聴こえなくなるリミットを過ぎても
補聴器が頑張って君の耳の代わりになると思うよ」でした。
今ではその言葉の通り、私の今の聴力はほとんど聴こえて居ませんが
補聴器が私の耳となり、「宝物」となっているのです。
「リオネット補聴器」はそんな私をいつもご支援して頂き、
新しく補聴器ができるとモニターとして常に最新の「音」を聴かせてくれます。
初めて防水補聴器が出来て、海に恐る恐るつけて行った時は、とても驚きました。
「音が海に跳ね返って大きくなるみたい。すごく賑やかでびっくり!
今までは海の上でお喋りしてる仲間が羨ましかった。
これからは挨拶してくれた友達の声も聴くことが出来るし、
波の音も聴くことが出来る!」ととても感動したのを覚えています。
補聴器は私の「宝物」です。可能性は無限にあります。
少しでも多くの聞こえにくい人が「補聴器という宝物」を通して素晴らしい音を聴き続けることが出来ますように。
精一杯リオネット補聴器アンバサダーとして活動していきたいと思っています。
略歴
2003 年 |
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